-the touch to reduce a heart




ざりざりと。
いずれ、その感触すら無くなって。




追ってくるのは一人、いや――二人、か。




横を走る風魔と視線を交わし、次の瞬間、同時に左右へ飛ぶ。
ざざっと竹藪を切り抜けながら、遅れること一拍、付いてくる気配が一つになったことを
確認して小太郎は密かに安堵した。
あちらは心配するまでも無かろう、ならば後はこちらの仕事をするのみ。
背を屈め、身を隠すように走り続けた低い茂みを抜け切ろうかというところで、
小太郎は突然上へと跳躍した。
咄嗟に見上げた追手の網膜を、眩い太陽光が焼く。
しまったと歪める白い視界を黒い影が覆ったと、思った時には既に遅し。
胸を激しく蹴られた追手は、もんどりうって地面に強かに頭を打ち付けた。
小太郎は蹴り倒した相手の胸をそのまま踏みつけると、懐から苦無を取り出した。
ぐったりとした相手の首にそれを押し当てると、ひやりと冷たい感触に意識を
引き戻されたのか、ぴくぴくと痙攣した瞼がやがてうっすらと開く。
そして小太郎の顔を捉えた瞬間、その眼が驚愕に見瞠かれた。


「お前、まさか……小太郎、なのか?」


苦無を握る手がびく、と震えた。


「お前、生きてたのか! 長は討ち死にした、って……」


今にも力を込めんと押し当てられていた手が微かに緩んだのを感じて、
相手は必死に言い募る。


「俺だ、ほら覚えてないかっ? 昔郷で一緒に修行した!」


告げられた名前に憶えは無かった。
いやそもそも、昔のことなど何一つ――


「そ、そうだ佐助! きっと佐助が知ったら喜ぶぞ、あいつ最後まで、お前は絶対戻ってくる、
って譲らなかったからっ」



『――だから、ぜったい戻ってこいよ。』


声が、まるで今朝耳にしたばかりのように、鮮やかに脳裏を過った。


「……」


苦無を持つ手がだらりと落ちる。


「な、小太郎、 だから一緒に郷に帰ろ――」


宥める様に、しかしその隙に身を翻そうとした男の声がつと途切れた。
何か信じられないような顔をした、その眉間に深々と小刀が突き刺さっている。
そのまま小太郎の足の下で、再びどうとその場に倒れ伏して、今度こそ男は
永遠に沈黙した。 



「何をしている」



突然降った声にはっと振り返れば、いつの間に来たのか、風魔がゆっくりとこちらへ
歩いてくるところだった。
冴え冴えとした瞳で物言わぬ男に一瞥をくれると、その目でじっと小太郎を見やる。


「敵を追い詰めておいて得物を降ろすなどと、何を考えている」


睨むわけでもなく、声を荒げるわけでもなく、淡々と注がれる視線と呟きが
胸を締め付けた。


「……昔、郷で一緒だったって。俺の名前を呼んで……」
「それで情に絆されたと」
「……」


黙り込んだ小太郎の手がぐっと握り締められるのを見て、風魔は小さく溜息を吐く。


「郷が恋しいのか」
「……」
「記憶に無い郷が、お前を縛るのか」


重ねて静かに問えば、小太郎は弾かれたように顔を上げた。


「小太郎。記憶が有ろうと無かろうと、郷が在る限りお前の足枷になるのか。
それなら――…」




そんな郷はいらないな、と言った。


表情も変えずに呟かれたそれに、 小太郎は顔から血の気が引くのが分かった。
思わずざっと身を引く、その腕を、掴まれる。
加減などせず、強く、強く。


「小太郎。我々に情などいらない。ましてや己の身を危うくする情など。
郷が無くなれば、心が揺れることも無いか」


その意味が解らない小太郎ではなかった。
郷を一つ潰すことくらい、この男は出来るのだ。
それこそが『風魔』を絶えずに受け継がせてきた力と、心なのだと。


小太郎は動くことさえも出来ないで、ただ風魔を見上げた。
震える手を、やがてゆっくりと離される。
無意識に掴まれていた部分に手をやって、また後ずさる足に何かが当たった。


足下には息絶えた男。
振り返れば、空に立ち上る幾筋もの煙。
そこは一面の瓦礫だった。己の与した一軍が、それをした。
そこにあった村は、もう無い。



ああなんだ、今更だ。



「――今更だ」


思ったそのままに呟くと、風魔は何も言わずに踵を返した。
その背中を追おうとして、ふと足を止め、地面に膝を付き、だらしなく開かれた
虚ろな目に見つめられるままに額の小刀に手を掛けた。
頭蓋にまで達していたのか、引き抜く途中で刃が擦れ、動かなくなる。




ざりざりと。


それは心が擦り減る感触に似ていた。